承応2年(1653)

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承応2年1653大町村字水呑分を郡代柴谷武右衛門が開田し、川北の水呑百姓42人を移す。
青塚村が開田した土地のことで、青塚村と宮内村・外野村との間で争いとなる。
加藤忠広が没し、木川・局・落野目が幕府領に、丸沼が酒井領となる。
宮海・青塚・白木・服部興野・十里塚の五力村が鮭新網をつくり、吹浦浜通りから小湊までの鮭撈を出願したが許されない。