元号年 | 年 | 月日 | 事項文 | キーワード |
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万治2年 | 1659 | | 幕府が出羽の城米輸送を江戸の商人正木茂左衛門と伊勢屋孫右衛門に請け負わせる。これには酒田商人粕谷が仲介していたという。正木らは関門海峡を経て江戸に至る西廻り航路によったものと思われる。この頃より由利郡の御城米も酒田に出した。この請負に端を発して、御城米の川下げの際、一俵につき二升ずつの欠米を農民から徴収する。また廻船商人による入札廻米が多かったため、安運賃となり、無理が入り、破船事故が多くなった。 | |
| | | 素封家伊東弥左衛門が没する。生年不詳、酒田伊東家初代。先祖は伊豆国伊東に住み本姓を工藤といった。慶長6年庄内にきて下内町に住居する。寛文6年から、代々大庄屋をつとめ、明治に至る。菩提寺は妙法寺。光丘文庫に「伊東家文書」6,600点を保存する。 | |
| | | 初めて亀ケ崎御足軽浮組を定める。 | |
| | | 庄内藩士杉山弓之助が板戸村を開発し、この頃住吉神社を創建する。 | |
| | | 南吉田の伊藤久五郎政盛が吉田新田村を開発し、皇太神社を創建する。久五郎は天和3年8月27日、52歳で没し、吉田新田円通寺に葬られる。 | |
| | | 下市神の皇太神社が創建したと伝えられる。 | |
| | | 大多与右衛門・梅木伝兵衛が川南の遊摺部地方161石を開発する。 | |
| | | 鳥海山が噴火する。(仁賀保旧記) | |