万治3年(1660)

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万治3年16606月20日藩から鶴岡・酒田の米蔵を火防のため、土蔵造とすべき旨、及び百姓の訴訟・遊興・休日・衣食の節約等についての心得が達せられる。(大泉紀年)
盆踊りが禁止される。この頃の盆踊りは一組一様の浴衣をつけ、編笠をかぶり、容姿すこぶる優しかったという。
前川村与一郎による大組頭新田へのきつね田堰等からの取水を不当として、上興屋・漆曽根・下安田村等が訴え出る。
庄内藩士の芳賀・宮坂が高田新田村を開く。
新庄藩の片岡騒動により中渡村の百姓治兵衛以下161人が庄内領へ逃げこむ。治兵衛はまず妙法寺へかけこみ八世日応に救いを求める。のちに新庄へ帰参できたのは日応の力によるという。治兵衛等は日応の恩に報いるため、戸沢村名高に妙法山蓮華寺をたて法華信者となる。