寛文10年(1670)

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寛文10年16701月川船達が困窮につき米を貸し与える。(大泉紀年・下)
2月砂山に上り木草を伐採したり、草根を採るべからず、との立礼をたてる(上に同じ)
2月松平藤兵衛が城代となる。
9月最上川が出水し、城内や上蔵に氾濫するため、郡代高力忠兵衛が広野谷地に新川掘替えを計画実行する。延宝2年に完成する。
この頃町奉行中台式右衛門により台町の町割が行われる。
河村瑞賢による東廻り廻米制度の整備が行われる。瑞賢は福島・仙台地方ならびに出羽のうち、置賜・村山二郡の城米を荒浜へ集結し、ここから江戸へ海送する。
山本三郎右衛門・美濃屋新右衛門・越前屋長兵衛・美濃屋彦兵衛の4人が新しく三十六人衆となり、越前屋長兵衛を除いた3人は貞享・元禄以後まで続いている。