延宝2年(1674)

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延宝2年16743月8日文学者、医師斉藤親盛が没する。72歳ぐらい。如儡子、以伝。父、斎藤筑後、盛広(玄蕃助)、母は東禅寺右馬頭の妹の長男として筑後町で生まれ、江戸鍋町に住み、医を業とするかたわら仮名草紙を著して著名となる。著書『可笑記』『百八町記』。
7月4日鶴岡大洪水、庄内大凶作、米価高騰し10両につき4斗入15俵となる。(荘内歴史年表)
8月高力忠兵衛による広野谷地への新川掘替工事が百姓2万人を動かして、寛文10年に着工し4年後のこの年完成し、(幅40メートル、長さ3,000メートル)、亀ヶ崎の水害がようやくのぞかれる。
本間家中興初代久四郎原光出世、本町二丁目の本家本間久右衛門の長男或は二男という。母某は本町五丁目渡辺源二兵衛の女。(市史史料篇五)
飛島の大宮神社を建替る。(飛島誌)
荻島の永蓮寺が、水害を避けるために勝保関に移る。