天和元年(1681)

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天和元年16814月酒田町組の大肝煎栗林新右衛門・渡辺隼人が酒田惣人数調書を出す。
5月高力忠兵衛を妬む者が、農民を(四ッ興野百姓等)を扇動して幕府巡見使に訴え、9月忠兵衛は櫛引郷田沢村につながれ、天和3年牢死する。(荘内経済年表)
5月瑞賢の廻米仕法替により、天領農民の江戸廻米についての負担が重くなり、村山郡漆山領3万石の惣百姓名で幕府巡見使に前のように商人廻しに願いたいとの訴状を提出する。
大日照り。6月15日から9月上旬まで雨がない。米価古米で29俵。
酒屋は鶴岡145軒、酒田95軒、京田村13軒。
宿駅伝馬町の御伝馬は24頭とある。
庄内藩の大坂廻米は延宝元年から8年間継続されたが、天和元年になって利害得失につき疑問を生じ、大津経由が復活する。
伝馬町肝煎藤助より伝馬24疋分の飼料金拝借願いが出る。(大泉紀年)
大石村肝煎彦七が、大石村等南沢四か村の山畑を、平田郷大肝煎高橋利右衛門が寺内村等北沢三か村のものとしたとして江戸に訴え出たが、翌年敗訴する。(朝日山目安書)