元禄2年(1689)

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元禄2年16893月中平田村の白山比め神社を再建する。(創建年代不詳)
3月幕府御料地の年貢米を御城米とよぶこととする。
5月本間家初代原光が本町二丁目本家本間久右衛門家より本町一丁目(現本間家お店)に分家、商業(米・大小豆・古手・瀬戸物・薬・両替等)を営み新潟屋と号する。
6月13日夕刻、(陽暦7月29日)芭蕉が曽良とともに奥の細道を訪ね、鶴岡から赤川を下って酒田につき、下の山の俳人で医師伊東不玉の宅に宿る。「羽黒を立ちて、鶴ヶ岡の城下長山重行といふ武士の家に迎へられて俳諧一巻あり、左吉も共に送りぬ。川舟に乗りて、酒田の湊に下る。淵庵不正といふ医師のもとを宿とす」(奥の細道) 暑き日を海に入れたり最上川(寺島彦助宅にて・元本町郵便局跡) あつみ山や吹浦かけて夕涼み(伊東不玉宅にて) 初真桑四にや断ん輪に切ん(玉志亭近江屋嘉右衛門宅にて・現北都銀行酒田支店)
6月14日(7月30日)芭蕉と曽良は、浦役人安種亭令道寺島彦助宅で「暑き日を」を発句とする歌仙をまく。
6月15日(7月31日)芭蕉一行は象潟の景勝をさぐり、酒田を立ち、18日、(8月4日)帰酒する。
6月19日(8月4日)芭蕉と曽良と不玉の三人が、不玉宅で「あつみ山や」を発句とする歌仙をまく。あつみ山の句は、酒田湊に舟を浮かべたときか、象潟の帰途、吹浦海岸からの眺望がヒントになったと思われる。
6月23日(8月8日)芭蕉と曽良は近江屋三郎兵衛宅に招かれ、この夜、初真桑の句会を催す。(本間美術館蔵)この句会で芭蕉は“かろみ”のヒントを得る。
6月25日(8月10日)芭蕉一行は不玉等の見送りを受け、御米置場の処の渡し場から船で酒田を出発する。
寺島彦助は俳号を安種・詮道・令道と号し、俳句をよくした。本町五丁目南側に住む。
貞享の初めごろより糸屋太右衛門(惣七郎)とともに酒田湊の浦役人となり幕府御米置場の管理等に当たる。