元禄5年(1692)

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元禄5年16924月蕉門十哲の一人美濃派の各務支考が芭蕉から銭別の句をもらって来酒する。
6月米沢藩の御用商人、西村久左衛門が置賜地方城米の最上川下し江戸廻送を請け負い、その便利をはかって、船路岩石の害をのぞく。
7月洪水。水害
秋、羽黒の俳人図司呂丸が芭蕉庵を訪ね、『三日月日記』をもらう。
伊東玄順不玉が『継尾集』『葛の松原』を刊行する。(光丘文庫蔵)
本間家二代光寿が生まれる。母於光は本町二丁目林市左衛門の娘。(市史史料篇五)
酒田から鶴岡へ赤川を船で運ぶ領米は鶴岡の長泉寺本屋敷より七ッ蔵へ運んだ。
全町的な町割が完成する。
同年より13年までの荷口役の対象となった数量は紅花342片~473駄、青苧は861~1091駄余となっている。(山形故実録・山形経済資料第四輯)
古川の皇大神社が創建する。(上田村村勢要覧)