元禄12年(1699)

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元禄12年16992月江戸詰藩士の禄米の東廻り海送を始める。(荘内歴史年表)
7月鶴岡で再び盆踊りを許される。また赤川端菅原に芝居小屋を建てる。(荘内歴史年表)
8月下の山王社を再建する。(酒田町史年表稿)
9月13日藩より庶民の足駄・差傘・合羽・三味線を停止される。(伊藤家記)
祖父山下は元禄11年妙法寺十一世日永が火災の類焼を恐れて、従来の寺の後方の砂地三万坪を藩から借りうけ寺地に造成し、寺を移建した際、風砂を防ぐため、老僕に簀垣を立てさせたので、次第に砂山となったのが町名の由来である。日永は防砂のため、能登から黒松をとり寄せて境内に植林した。これはおそらく酒田最初の植林である。いま「子産させの松」といわれる巨松は、その最初の記念樹といわれる。
南学坊が福王寺(不動尊、現千日堂前)を創建したと伝えられる。