元禄15年(1702)

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元禄15年17021月大地震、百年来のものという。
7月25日善光寺如来を林昌寺で開帳する。この以前から善光寺信仰が当地に広まったと考えられ、この信仰とともに各町内に念仏講が盛んになった。しかし、平安時代から、東北地方に念仏聖によって念仏信仰が広まっており、念仏講は虫送りの風習と関連し、当地でも農村では南北朝頃からすでに念仏講が始まっていたかもしれない。この虫送りと一緒の念仏講は若者が主となる。これに対しお婆さん達によるものは6日念仏ともいい、3月6日に寺に集まり、大きな数珠を廻しながら念仏をとなえた。
藩庁では米相場所に命じて10月13日をもって米の初相場を立てさせ、これを米価一番値段という。この年の一番値段は金10両につき20俵。この日は町奉行が正服で出席し、祝詞をのべるのが例となっていた。また正月2日の初立合には代官が出席するならわしであった。(荘内歴史年表)
医師伊東見龍(四世)が生まれる。
この年の酒田川船数、最上川上下、5人乗92艘・4人乗55艘・3人乗203艘・2人乗10艘、計360艘。赤川・新井田川上下のむたま船は不明である。(大石田町史・酒田川船古来より混乱諸願聞書)
船場町に少し人家がたてられる。