宝永3年(1706)

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宝永3年17065月鷹町はこの年平田郷大町組浜畑分天正寺北方の砂地13,622坪を整理し、124軒に割りあて、新地と称した。これが鷹町・外野町の始まりであり、当時、現稲荷神社を鷹尾山金剛院といった所から鷹町と名づけられた。
6月忠真が藩士の禄各百石より年々十五俵宛の五個年間の借米を布達する。(荘内歴史年表)
8月4日松山役人宿の酒田内町兵助が御米を買入れ、松山米と偽り沖出しした罪により追放に処される。
佐藤善五郎が広岡新田を開村する。(県史資料篇十七)
天神別当五大院へ時鐘撞料として藩より年々十両を下される。(県史資料篇五)
龍厳寺で町中に配布していた山王宮牛王の札をこの年から中止する。(市史史料篇七)
鳥海山山頂より方角を測定することを申し渡しされる。(閑散文庫・下)
庄内大凶作。(荘内経済年表)