宝永6年(1709)

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宝永6年17094月同町内で同名をつけるのを禁ずる。(酒田町史年表稿)
5月27日酒田湊普請へ狩川通りよりも加勢人足が出る。役人関甚太夫・梅木大八郎。(伊藤家記)
9月天風波のため湊口が砂でふさがる。
飛島の法木村・浦村・勝浦村3力村の家数164軒。人数969人。寺2力寺真言宗。南北22丁、東西平均16丁。(筆濃餘理・下)
宝暦年間より凶作が続いて郷村の生活が困窮し、新田目村の農民、佐二兵衛を代表として農民等は夫食(食料)の貸与方を代官所に願い出る。再三の嘆願にもかかわらず救済が実現しないので農民480人が鶴岡に赴いて藩庁に貸米の実施を請願する。
丁持人数は内町組257人、米屋町組が121人、合計369人でいずれも亀ヶ崎御蔵付丁持となっており、4人の丁持頭がいた。
酒田御用金のうち、三丁目弥右衛門千五百両・粕谷三左衛門千五百両・鐙屋惣左衛門千三百両・上林七郎左衛門千三百両・高橋四郎兵衛・高橋儀兵衛・根上作右衛門各四百両、鈴木九右衛門・伊東弥次右衛門・加々や多右衛門・園部源七各二百両を献上する。(川上記)