享保3年(1718)

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享保3年17181月最上大名方のお下し米、蔵入方法につき丁持共が藩へ強訴する。
1月天道船(直領年貢米を運搬する川船)の御用御赦免願いを秋田町渡辺五兵衛等が提出する。
5月8日片町から出火して277戸を焼く。(荘内経済年表)火事
5月出火の際、破壊消防のため、大工・木挽は普請方へ詰め、その他酒田に居合の大工・木挽は鐇・大鋸を持って火事場に行くよう達せられる。
6月米の延売買が重ねて厳禁される。
6月18日藩では幕命により月山・鳥海山・金峰山の高さを丈量することとなり、中村政栄に命じて三山の高さと方位を測量させる。我が国高山測定の初めである。当時の測定として鳥海山647丈3尺1寸2分(1,943メートル)月山537丈5尺9寸8分9厘(413メートル)、金峰山138丈2尺4寸6分5厘(415メートル)。(荘内歴史年表)
9月当時桝値段、1升桝280文、5合桝250文、1合桝130文。
10月22日鷹町から出火して41戸を焼く。(酒田町史年表稿)火事
天才的相場師といわれた本間宗久が、本間家初代原光の五男として生まれる。幼名を小作(古作)重信・熊次郎・伝治などといった。母は鶴岡の御典医宮本高哲の一人娘満津であり、のち鵜渡川原に宮本家を再興する。
御町奉行所から長吏頭に米3俵、与頭に2俵、そのほか上通り長吏10名に毎年米を支給するようになる。(市史史料篇一)
粕谷小路湯屋平三が蒸し風呂をたてることを願い出、許される。