享保5年(1720)

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享保5年17203月22日沖ノロ停止。(菖蒲年代記)
5月1日山椒小路から出火し、南東風のもと、中袋小路・御宿小路・下袋小路・利右衛門小路・染屋小路など228軒を焼失する。火事
8月上旬、酒田で60文に米1升5勺。(余目町史年表)
9月幕府は出羽などの御城米の西廻りによる江戸廻米の差配を江戸の廻船問屋筑前屋作右衛門に命じ、作右衛門の手許で廻船を調達させる。
山形領大庄屋、佐藤茂弥の父理兵衛は、凶作を憂えて領主堀田正虎に建議して廻送米を停船させる。(山形県史)
近年稀にみる凶作。ウンカが発生し、川北・川南の百姓が松明をたく。
凶作が相続き、米価高騰し、領民は悉く飢餓に苦しむ。鶴岡・酒田その他領内で、粥を施与することおよそ60日。鶴岡や酒田では1日1ヵ所1万人に達する。(荘内歴史年表)
本間久四郎が藩主に米5斗入318俵を提出する。
酒田で米屋達が郷中米を出すことを停止される。(菖蒲年代記)
この年から医師の月番制度が始まる。
この年から飛島澗役銭一人56文、塩口銭一石100文の徴集となる。(飛島誌)
六ノ丁尾関又兵衛が身上不如意で、御手当御米1400俵の拝借、10年間の年賦上納願いを出す。(市史史料篇一)