享保6年(1721)

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享保6年17212月医者の月番を二人ずつと定める。
2月酒田で米1升6合につき60文となる。(菖蒲年代記)
4月23日船町の八郎兵衛船4艘・三右衛門船2艘・弥平治船1艘の計7艘が煙草を積んで初めて落合河岸(現中山町)を下ったという。(阿部三右衛門日記)
5月五、六年の不作のため鶴岡・酒田の百姓に小屋を造り粥を施与する。
相次ぐ凶作のため川北の諸村が騒然となり、高百石につき7俵上納の件について百姓達が郡奉行に訴える。先導者4、5人は川南に追放される。
9月享保5年に引き続き、越後・能登・出羽・越前などの幕府御城米の西廻りによる江戸廻米を筑前屋作右衛門に差配を命じ、廻船の調達にあたらせる。
12月幕府は質地田地法を改定し、抵当年限後に流地とすることを禁止し、もって富豪者の兼併を防止し、また流地でも5ヵ年以前に(享保2年)属するものは、元金返還のものはこれを返戻させ、小作年貢利子は一割半をもって定限とする。(山形県史二)
五丁野谷地支配について酒田町と小牧村とが区域限定の絵図を交換する。
この年の酒田川船数、5人乗13般・4人乗81般・3人乗96般・2人乗50般・計240般。むたま船は不明とある。(大石田町史・酒田川船古来より混乱諸願聞書)
台町・猟師町の小通いの海船所持者26名から、小廻り荷物を猟船が運ぶことの禁止を願い出る。(市史史料篇一)