享保7年(1722)

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享保7年17224月7日藩では百姓の田地質入流しを禁ずる。(荘内史年表)
4月内町・米屋町・酒田町三組の肝煎達が五丁野谷地の開墾計画があるのを許可せず、従来通り、酒田町の屋根葺萱と薪物にすることを願いでる。
6月10日浜町から出火して善導寺小路まで50戸を焼く。火事
8月上の山王社に本町ニノ丁の池田六郎兵衛が左大臣・右大臣の二像を寄進(現存)する。看督長狛犬を置く。(現存)
9月亀ケ崎に初めて行事屋をたてる。浮役足軽を月行事支配とする。
春以来オシャラク病が流行し、酒田でおよそ3000人の死亡者がでる。悪性インフルエンザか。病気
戦国以来の旧家粕谷家はこの年休役となり、しだいにふるわなくなる。
大石田の専横が改まらないので、寒河江の善蔵が発起して、上郷商人や酒田商人にも呼掛け、大石田の川船業奪取を試みる。