享保10年(1725)

年号選択
 
元号年月日事項文キーワード
享保10年17257月27日全庄内に大風が起り、西風最も烈しく鹽霧が襲来して稲穂その他草木がことごとく鹽焼となる。一、二日間に常緑木以外はすべて落葉する。川北方面の被害激甚。特に酒田・横山辺で潮風が強く、家々の軒に塩が二、三分ほど積もったという。やがて草木は若芽を生じ、8月末、梅・桜・桃・李・藤・山吹が春のように一時に蕾を咲く。(荘内歴史年表)
11月故河村瑞賢の建策に基づき、東海・西海の要湊に浦役人を置き、城米を廻送させる。そのため交通の便が益々よくなる。(荘内経済年表)
この年の御城米廻船調達の例をみると、幕府は積出地から江戸までの米百石当りの運賃額を示し応募している。
大庄屋、俳人伊東祐勝(不撤)が没する。67歳。万治2年下の山伊東家分家伊東是久の次子として生まれる。のち内町組大庄屋伊東弥左衛門の跡をついで四代目当主となる。妙法寺に葬られる。
東野新田村が水損のため、東方より現在の下藤塚村の地に移転する。(飽海郡誌)
大宮の白鳥神社が和泉国大鳥宮から勧請され、白鳥観音と称する。
町奉行加賀山平助が初めて上荷割銭・宅地売買口銭を徴収し、年寄・大庄屋に手当を支給する。