享保11年(1726)

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享保11年17264月12日十王堂町から出火して20余戸を焼く。愛宕堂と上の山の薬師堂も焼ける。火事
5月8日夜、南東風のもと片町から出火して日和山下まで2077戸を焼く、下の山王社も類焼(享保20年再建)する。権九郎火事という。この火災後、片町は庄内藩の米蔵である上蔵に隣接していて火災の危険があるため、同町の東側27戸、向う南角4戸を筑後町はずれの田地を整理して移住させ新片町と称する。火事
新片町の皇太神社は初め、片町に勧請し、この年現地へ遷座する。
大火復興で他所から大工・木挽が大勢入り込んだため、彼らからも新たに御国役目銀を取立てることに決まる。
藩では川北に栗の樹を植えらせる。(荘内史年表)