享保14年(1729)

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享保14年17291月町奉行高橋万右衛門が宅地売買口銭(金1両につき口銭80文)および川掘に備える船方一割銭を徴収して積立て、町用金元立と名づける。(酒田港誌)
2月14日放火のため猟師町から出火して700戸を焼く。火付女は処刑される。(上に同じ)火事
3月火消作法を督励する。
7月山形近江屋作右衛門が紅花輸出に関する費用目録を定める。(山形県史)
8月6日より4日間にわたり大雨、赤川大氾濫、鶴岡の被害甚大となる。(荘内歴史年表)水害
9月9日高野浜陣屋(御米置場)が焼ける。(酒田港誌)火事
9月15日和泉小路(現荘内銀行酒田中央支店通り)から出火して806戸を焼く。(酒田港誌)火事
11月海向寺が炎上する。
天満宮が再建され、小寺信正が当時の大学頭である林信充の序文を添えて「天満宮拾梅帳」を編さんする。
儒者上林白水が生まれる。
近年、裾細袴をみだりに着用する者があり、堅くこれを禁ずる。ただし亀ヶ崎在番の御番頭及び検見にでる郡代はこの限りにあらずと達せられる。
この頃酒田の商人加賀和右衛門・山本三郎右衛門は過口銭を請負いたいと思い、江戸に上って、江戸商人田辺・岩本と結び幕府に直接請願した。藩では勝手に他国商人と結託したとして、両人を入獄させる。
生石延命寺境内に青面金剛童子供養塔がたてられる。酒田地域ではこれが一番古く、この頃から庚申信仰が広まったと思れる。