享保19年(1734)

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享保19年17342月利右衛門小路より出火し、100軒焼ける。(余目町史資料一)火事
6月町の位(大きさ、財政規模)により町用金から年々鳥目(お金)を支給される。この後これを下屋敷代という。
7月28日輪島の番道屋伊兵衛持船、沖船頭長兵衛の船が、29日明六ッ時分(午前6時)、法木と浦の境にあたる「くんせ」で難破する。沖合よりの引賃80両というので問屋に頼んで割引させようとしたが承知せず、交渉に手間どる。法木では一艘につき3貫500文を受取って出動したが、浦では承知しなかった。このとき両部落に境論が起こり、争った末、法木が勝訴、浦の肝煎・組頭・小走等が牢舎入等の処罪を受ける。(飛島誌)
11月上山王社の建築修繕その他社頭にかかわる費用は内町組・米屋町組両組負担の契約ができる。
12月13日下袋小路から出火して133戸を焼く。(酒田港誌)火事
享保ころまで宮野浦に二、三の問屋株があり、海船が着いている。