享保20年(1735)

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享保20年17353月黒森の與吉家二代目、幼名與作が17日間、斎戒沐浴して翁御面・三番叟御面の二個を彫刻する。(黒森歌舞伎史料)
4月2日藩公酒井忠寄が五丁野谷地に鷹狩りに出猟、帰りに松山に立ち寄る。(酒井家世紀)
5月今町観音堂地で、黒川能を興行し大入となる。
6月30日美濃派宗匠盧元坊が来酒する。「塩越の歸るさ酒田の南江亭にいたる(泊る)」。盧元坊と俳句を楽しんだ酒田俳人は、南江・虎砌(小池的庵)夏雪・喜永・東川・曲尺(高橋平六、大工、天満宮棟梁)芦錐(大泉長次郎)和竹(本間十蔵)金英(本間久四郎、原光)斗南(佐竹弥右衛門)等。(盧元坊留杖句集、佐藤七郎蔵)
京田通りの水害を防ぐため、黒森山切抜きの計画を百姓より願い出る。(坂野辺文書)
飛島三力村の地境並びに漁場争いが決着する。(飛島誌)
この頃から村の風紀改善のため黒森歌舞伎を始めたといわれる。