延享2年(1745)

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延享2年17452月大雪のため台町の人家が埋没倒壊する。台町付近は屋上六、七尺(210センチ)におよび、除雪人夫7、800人が出動する。
4月水帳整理のため、家屋敷売買および下屋敷売買を届け出させ、水帳の札張替を行う。
6月藩主忠寄は僧鐵文に命じて川北海岸の風砂の害と植林の必要性を強調させる。酒田中町の佐藤藤蔵はその説を聞いて植林事業をおこし、四里にわたる砂丘地に松苗を植える。(荘内経済年表)
8月野菜や生魚の仲買を禁じ、物価の高騰をおさえる。
10月庄内大雪、潰れ家が多く出る。
最上の横山河岸が始まる。(大石田文書)
家中武士及びその妻子の芝居見物を禁ずる。(荘内歴史年表)
藩の意向に従って従来の仲買25人の外に両替屋(銭屋)25人にも米の仲買を許すことになる。また米相場の取引場所を歩座方と改称する。
亀ヶ崎城の足軽が、古法への立帰りを要求して鵜渡川原の青原寺へ総寄合をし、翌年足軽の処分が行われる。(亀ヶ崎史話)