宝暦6年(1756)

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宝暦6年17561月藤崎村砂防植樹をなした佐藤藤蔵に苗字帯刀を許し、その功を賞する。(荘内史年表)
2月8日光丘が二代新四郎へ家作料金五拾両を助力し、父祖に代って教訓する。(市史史料篇五)
2月小池的庵が大道丸を調製する。原田忠庵・須貝玄益・本間俊庵らの町医者が、困窮者に「大道丸」を施与する。
3月消防の総指揮を町奉行がとるようになり、消防人足に木札を持たせて規定の人足を出動させる。
3月酒田町が物騒のため鶴岡物頭安倍惣蔵が盗賊改めとして二ヵ月間出張してくる。これより盗賊改役所が酒田につくられる。安倍惣蔵は鉄の棒を持たせた足軽を二手に分け、市中を巡邏し下山王で法螺貝を吹立てさせたので、盗賊博徒は皆逃げたという。(酒田町史年表稿)
4月18日光丘は本間宗久に対し木材取戻しを訴願して争い、これより天明6年まで30年間義絶する。(市史史料篇五)
前年の凶作により酒造停止となる。御領所大山の酒も販売止めとなったため大山酒屋は苦難を訴え出て、鶴岡・酒田に限り販売を許される。(荘内歴史年表)
12月宝暦の大ききん。百姓で乞食をするもの多く、また路上に餓死者が多くでる。施粥が行われる。米価10両につき16俵半。飢饉
医師桜井三折が酒田に来る。