宝暦7年(1757)

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宝暦7年17574月洪水で亀ヶ崎城内が浸水する。最上川上・中流域の山形・上ノ山・米沢で驚異的な大洪水となり、死者は100名を超す。水害
5月1日最上川増水、25日大洪水。(松嶺町史年表)水害
5月大水のため大手門前で人夫が一人死ぬ。(酒田港誌)水害
6月6日本間家が米穀を献納し、窮民救済及び平素の篤行を嘉みされ俸十口を賜わる。
6月最上川の運漕船に破船の害が多いため荷主等が協議し、人を各地に派遣して、通船の状況を視察させる。(酒田港誌)
10月8日医師伊東見龍が没する。58歳。元禄13年大庄屋伊東伝内の子として生まれる。のち伊東玄的の養子となり、下の山の分家四代目を継いで藩医となり、五人扶持を給される。『医学蒙求』三巻を刊行して高く評価された。妙法寺に葬られる。
浄福寺の釈公巌が生まれる。