明和3年(1766)

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明和3年17663月27日藩主酒井忠寄が没する。62歳。(酒田港誌)
3月雪どけ洪水のため、御米置場の柵際まで崩壊し川欠の患があり、庄内藩では方案を具して幕府に上る。(岩本史年表)
6月24日光丘が御宿小路の蔵屋舗を購入し土蔵を新築する。(市史史料篇五)
8月本間光丘が下の山王社を再建する。
9月朔日本間家では山王宮遷座式のために笠鉾(亀鉾)を新調する。光丘が京都の人形師に207両で作らせたもの。その後、山王祭礼ごとに本間家前に飾られ、行列に加わり、本間家の亀として親しまれる。光丘は京都祇園祭を模して、山王祭を山車・御輿渡御・神宿を中心とし、盛大にする。
山王堂町弥助等の薪積船が、鵜渡川原青原寺裏で風のため逆に鶴岡川(赤川)に流され、2人水死する。(野附文書)
加賀屋永蔵が五人扶持増で、十人扶持となる。(宇治家文書)
坂野辺新田の八幡神社が創建する。
この年本間古作から、広野新田は子孫代々、他へ譲渡しない旨の覚書を出しているが、天明8年には金1600両で同村へ売払っている。(坂野辺佐藤太郎右衛門家文書)
俳人、尾張屋長右衛門。酒田宗匠。淇水・竹裡観・華耕園がこの年『袖の浦』を出す。