元号年 | 年 | 月日 | 事項文 | キーワード |
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明和5年 | 1768 | 1月 | 数十年来、越中屋治兵衛は沖瀬取を請負ってきたが、さらに川船方口銭徴集を請負う。 | |
| | 2月 | 本間光丘が8ヵ年計画で「備荒籾」2万俵を献じ、飢饉に備えることを提案、採択される。のちこれに4000俵を追加して合計2万4000俵を庄内八組郷中に分置する。庄内地方における貯籾の創始に当たる。 | |
| | 2月 | 光丘が藩命により出府し、藩の長年にわたる借財「大津借」を整理返済する。(荘内経済年表) | |
| | 4月 | 光丘が、巡見使御宿として旗本二千石格式の長屋門・書院造の武家屋敷を店の向い側にたて、藩に寄進し、その後、払い下げられる。酒田に現存する建物では一番古いと思われる。昭和28年山形県文化財に指定される。現在は豪商の面影を今に伝えるものとして「本間家旧本邸」とし一般に解放している。また乃父の跡式を「本間正(庄)五郎名」とし俸三十口、廩米七十俵をこれに付し、名代人を以って業務に当らせることを許され、かつ新宅地の賦役を免じ、新居建築用金五十両を賜わり、正(庄)五郎名で町年寄格となる。(市史史料篇五) | |
| | 6月 | 日和山西陣屋の御米置場が前年の洪水で破損したため光丘に普請御用掛を命ぜられる。(荘内歴史年表) | |
| | | 佐藤太郎右衛門が植林の功で五人扶持増となり十人扶持、帯刀御免となる。(閑散文庫) | |
| | | 大庄屋渡部隼人と縁組したことにより、小国口の上番人渋谷六兵衛が知行を取上げられ、追放となる。(温海町史上) | |
| | | 筑後町善五郎より出火、類焼9戸・取壊や切潰5戸を出す。(野附文書) | 火事 |
| | | 山王堂町の惣次郎妻“くの”が孝養をもって賞せられる。(荘内年代記) | |