安永4年(1775)

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安永4年17751月鶴岡町奉行堀季雄、平太夫が各役組下預り人の心得を達する。
3月鶴岡・酒田とも町人は藩士に対して、土下座することにきまる(これまで用達の時は、土下座しないことが往々あった)。
4月水帳を改正する。
5月10日医師伊東見璞が没する。46歳。享保15年鶴岡に生まれ、酒田伊東玄当の養子となる。漢詩に長じ同好者と詩会を催す。妙法寺に葬られる。
10月鶴岡町奉行堀季雄が酒田町奉行となる。奉行中、商人等に読書をすすめ、酒田上野屋三郎右衛門に書店を開き貸本を営ませ、二酉房の屋号を与える。鶴岡では丁字屋門吉に御用書店の看板を掲げさせる。『酒井氏系譜参考』『日の枝折』等百余巻の著書がある。天明6年没する。52歳。(荘内歴史年表)
12月志野流の御家香司である橘孝春から、加賀屋主人二木素一宛に「香道系譜伝」が与えられる。
中瀬取口銭(増口銭)の取立を本間幸三郎・板屋惣兵衛等問屋6人で請負う。増口銭取立所は大浜・高野浜・川元口の3ヵ所。(市史史料篇二)
本慶寺が寺町の現在地に移転し本堂等を建てる。その後、旧境内地は菜園としていたが、寛政3年3月屋敷守の名称をもって名子を住居させる。