安永6年(1777)

年号選択
 
元号年月日事項文キーワード
安永6年17772月新井田川が洪水となり、蔵米の濡損が多く出る。
4月本町一ノ丁本間庄五郎宅から出火、類焼10軒、切家4軒を出す。(市史史料篇一)火事
7月大雨で宮内新田村の土手が破れ、大洪水となる。水害
7月城代酒井図書が没し、9月酒井玄蕃が定在番となる。
光丘が藩の財政立直しに成功し、御元締上席となる。
本間光丘・村山与四兵衛らが、町奉行と協力して救恤備金を始める。
光丘は大坂へ所用で行った折、姫路に立ち寄り、正法寺にある旧主の奈良屋権兵衛(馬場了可、速成院真誉了可居士)の墓前にぬかづき、往年の鴻恩を深謝する。
医師、風間東美等が協力して、十三経・十七史・六国史等の図書を集める。酒田での図書館の始まり。(酒田港誌)
湊過口銭をめぐる問題が再燃して、長瀞附惣代新蔵・柴橋附惣代三右衛門らが「酒田湊過口銭願」を出す。
荒田目組二十一力村が藤崎村佐藤藤蔵の西山植林地を借入れて、砂防林の植付に着手し、当組大庄屋堀善蔵がこれを監督して南北1,300間に植付け、文化2年完成する。(荘内経済年表)