安永9年(1780)

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安永9年17802月上の山王社再建について、町中から五ヵ年間冥加金を募集する。(酒田町史年表稿)
6月18日庄内大地震。酒田はもっとも被害が多い。潰れ家や死傷者が多数出る。地震
8月鵜渡川原の十一面観音像は道元禅師一刀三礼の作と伝えられ、志村伊豆守の信仰仏で、亀ヶ崎城内二の丸北の角に安置されていたのを、宝永5年慶光山観音寺に移し、さらにこの年、観音寺の側に十一面観音堂(現在地)をたててまつる。このとき観音寺の須弥壇下から室町時代作と推定される獅子頭が発見される。8月18日より20日まで3日間、入仏開帳がある。本尊は秘仏で60年に一度の開帳である。その後鵜渡川原の鎮守として村民の信仰を集めている。
夏期は川口が浅くなり、城米船の出湊が困難となるため、宮野浦に溜船をおいて瀬取をし、往来の便宜をはかる。川口は、冬は狭く深く、春の雪どけ水頃から広く浅くなる。(酒田町史年表稿)
中町の曽根原六蔵が菅野村に移り、飽海郡北の砂防植林を始める。六蔵は佐藤藤蔵と親類なのでその感化を受けたという。(飽海郡誌)
この年大凶作。(飽海郡誌)
龍厳寺境内に借地の南学坊が千日堂前に引越、福善院(不動院)と改称する。(市史史料篇七)