天明3年(1783)

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天明3年17834月17日下袋小路から出火して南東風のもとに船場町まで225戸を焼く。火事
5月17日本間光丘の舎弟弥十郎が本町二丁目に分家する。
8月米の買占めを禁じ、落文をもって密告させる。米高値につき粥を施与する。
10月米沖止、11月酒の売買を禁ずる。
諸国大凶作、流民が多く庄内に入る。餓死者が多くでる。酒造を禁じ、酒桶を封ずる。飢饉
明和5年、光丘によって始められた備荒籾2,400俵が大いに役立つ。(荘内史年表)
町用元立金に村山与四兵衛が1250両を寄付する。
奥羽大飢饉、松山・酒田米は10両に付、18俵、12月頃になり10俵値段となる。(松嶺町史年表)