享和元年(1801)

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享和元年18016月1日植林の功労者で酒田の富豪、本間家中興の祖、酒田発展の基礎を築いた本間光丘が没する。法名、速満院釈宗善、70歳。11月光道が家督をつぎ三百石家中に列せられる。光丘はのち光丘神社としてまつられる。光丘が一代50年足らずの間に集積した田地は実に立上米(小作米)1万6千俵、貸金5万781両3分、銀4万9,963貫314文という超非凡の蓄財を成して、全国長者番付に名を連ねる。
7月6日鳥海山大噴火、大爆発。「七月六日、荒神嶽付近で爆発、七高山と荒神嶽の間に享和岳(新山)が生ずる」(鳥海山噴火由来)。噴火爆発により、登山中の道者8名が七高山に通ずる峰通りで大石に打たれて死亡する。
11月かねて本間正庵と本間正五郎にかかわる米金出入一件につき、双方より願書を出し内済にする。もっとも内々割合の儀は米150俵・金150両を正五郎より正庵へ差し出す。(市史史料篇八)
12月光道が日雇人へ冬貸銭を貸与し、窮民に施米を行う。その後毎年の例とする。(市史史料篇五)
町年寄、加賀屋与助が苗字を二木と改める。
冬鳥海山再び墳火を始める。(荘内史年表)