享和2年(1802)

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享和2年18022月幕府の蝦夷地御用船安全丸が、酒田湊で失火焼失する。
6月浄福寺の公巖が異安心をとなえ、本山で討論し、のちその非を悟り、廻心状を出す。
6月から10月にかけて、伊能忠敬が出羽・越後の海岸および街道を測量する。9月来酒し、七ノ丁加賀屋孫三郎宅に止宿する。
7月25日水戸の地理学者長久保赤水が没する。85歳。詩文をよくし、宝暦10年鳥海山に登って詩を作る。(酒田港誌)
9月藩校致道館の聖廟(孔子廟)が落成する。(荘内歴史年表)
9月家老、酒井吉之允が城代となる。
曽根原六蔵が砂防林の海岸植付に成功する。
江戸春秋庵二世をつとめた常世田長翠が、浄徳寺河道の勧めでその門前に胡床庵を営み、64歳で亡くなるまで酒田に永住する。宗匠俳諧、月並俳諧の盛行する江戸をさけて、奥の細道で芭蕉ゆかりの酒田に来て、正風再興をはかった。酒田では廻船問屋等の豪商が相次いで入門し、特に本間光道(みどり)の庇護を受ける。長翠没後も春秋庵系統が盛んになり、のちに長流舎と翠流舎に分れる。浄徳寺に墓がある。
四代伊藤四郎右衛門等和が江戸に上ったついで、能の観世大夫に入門し、帰郷に際し餞別として、式三番の三幅対を送られる。
現存する塞道幕で最も古い、浜町の「象と中国風の童子」が描かれている幕が作られる。おそらく、この頃から塞道の幕見が始まったものであろう。この幕見の風習は全国でも珍しく、酒田独得のものといわれる。