元号年 | 年 | 月日 | 事項文 | キーワード |
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文化2年 | 1805 | 2月 | 鶴ケ岡城で、伊藤四郎右衛門等和一行60余名が能楽を舞う。 | |
| | 4月10日 | 京都の医師・紀行家、橘南谿が没する。53歳。(酒田港誌) | |
| | 4月10日 | 俳人武長百合坊が没する。72歳。伝次・五郎兵衛・五右衛門・以文。米屋町の太物屋で代々五右衛門と称し、俳諧を好んで書画に長じた。玄武坊が来酒したとき美濃派の酒田宗匠となった。安祥寺に葬られる。 手向日に咲くや言葉の華百花 百合坊 | |
| | 4月 | 本間外衛光武(後の光道)が松山東山に部分林の植付をする。(松山町史年表) | |
| | 6月 | 藩校致道館の講堂が落成し、開館する。前年の12月全建築設備が完成する。正門は南面し、東西に通用門を設け聖廟・神庫・御入りの間・講堂・養老堂・会業の間・典学詰所・書庫・御勝手目付・勘定詰役所・台所等の布置である。(荘内歴史年表) | |
| | 8月 | 晦日能州阿部屋文右衛門船蝦夷地御用荷物積入御雇船虎球丸、船頭彦七、水主三人乗が、昆布九百石を積んで箱館を出帆し大坂に向う途中、大風で荷物を捨て、九月四日、ハシケで飛島に入る。飛島では親船を11日までさがして発見する。一力村十二人宛人夫を出し六、七里より引入れ荷物を揚げたところ、荷物を盗んだ者があり問題となる。(飛島誌) | |
| | 9月 | 酒井忠徳致仕、二男忠器(十代)が家督する。(荘内歴史年表) | |
| | 10月6日 | 片町から出火し、28軒を焼失する。 | 火事 |
| | 11月12日 | 鶴岡出身の曹洞宗の高僧で、正法眼蔵「那一宝」を開版した老卵が鶴岡新士町破鏡庵に寂す。81歳。善宝寺山門「龍沢山」の額は老卵の書。(上に同じ) | |
| | | 伊藤四郎右衛門が増口銭取立改惣元方となる。 | |
| | | 日光川流域を小湊に通ずるように新川を掘る。(酒田港誌) | |
| | | 川北観音寺の刀匠池田一秀が庄内藩御抱えの刀剣鍛冶となる。(荘内歴史年表) | |
| | | 幕府は越後その他諸国から農民を募集して蝦夷地の開墾を奨める。出資や経営は諸藩の豪商に当らせる。庄内藩の資本は本間光道が出す。 | |