文化3年(1806)

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文化3年18061月火防のため、酒田町の土蔵屋根の萱葺を小羽屋根・芝屋根に葺替を命ずる。
1月湊口銭徴収方法を定める。(酒田町史年表稿)
3月6月とに引き続き二度の江戸邸類焼につき、酒田町用金3400両、才覚金1700両、ほかに本間家才覚金2000両、伊藤四郎右衛門1000両を達せられる。
8月21日中袋小路から出火し、360軒を焼失する。火事
8月今町観音堂が焼ける。
10月24日大風雨のため最上川が氾濫し、船場町が流される。水害
酒田町を洪水から守るため、町民が護岸工事を計画し、工費を十ヵ年々賦で借用したい旨を藩に願い出る。(酒田港誌)
藤井伊兵衛が私財を投じて遊佐村の藤井新田を開発する。
儒者、伊藤鳳山が生まれる。
釈戒光が没する。68歳。手蔵田荘司家の生まれで学僧として名高く、大いに禅風を挙揚し、当時、当地方禅宗界で指導的役割を果たした。書家としても知られ、書いたものが多く残されている。文政7年「戒光船老師之碑」が金龍黙淵撰・魯道圓通書により手蔵田長淵寺境内にたてられる。