文化4年(1807)

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文化4年1807正月26日藩主、鶴岡城中において黒川能を御覧になり賞詞を賜う。(荘内歴史年表)
2月最上徳内が来酒し、中国地方向の海産物調査を行う。
6月1日ロシア人の侵略に備えるため用人杉村翁助が監軍となり、物頭興津儀右衛門・加賀山龍治以下325人が兵糧600俵、用金800両を持ち、酒田湊から船5隻に分乗して蝦夷地に向う。(荘内歴史年表)
9月幕府大目付中川飛驛守以下130人が蝦夷地検分の途次酒田に宿泊する。
今町の厳島神社にこの年作られた獅子頭があり、正月の道祖神祭りなどに舞われる。
鐙屋が蝦夷地御用掛りを命じられたのを機会に姓を「鐙谷」と改める。これは「あぶみや」の呼名を、残そうとして、はじめ「鐙矢」としたところ、藩から「矢」は悪いといわれ結局「鐙谷」となったもの。
ロシアの船が北海に出没するため、荘内藩海岸の警備を厳重にする。
飛島西沖を外国船(おそらくロシア船)が通過する。(飛島誌)