文化8年(1811)

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文化8年18114月20日植林家、大町組大庄屋尾形庄蔵(将監)が没する。88歳。享保9年生れ、平田郷大町組大庄屋尾形家八代目。隠居したあと酒田浜畑に移住し黒松の植林を行う。その面積25町4反、その数17万3,180本に達した。
5月箱館奉行の依頼により庄内藩より人数若干を出して警備に当らせる。9月帰還する。(荘内歴史年表)
6月14日医師で儒者の曽根原魯卿が没する。62歳。大信寺に葬られる。
7月定在番水野東十郎が中老に転じ、酒井弾正直寛が城代となる。
8月新町稲荷神社の社殿を再建する。
9月18日木彫師白崎文錦堂が没する。歳不詳。善次郎・度興・花耕。桶屋町に居住し彫刻を営み、最上川の埋れ木を採取して文具類等の器具を作る。江戸の儒者亀田鵬斎に紀文を依頼しこれを埋れ本細工に彫って好事家に頒ける。また白崎五右衛門の注文をうけて日和山眺望絵二枚を彫刻した。下絵は小池曲江の筆だという。酒田における指物師の先駈者。子孫は龍吐水をつくる。
9月22日鶴岡總穏寺において土屋虎松が兄萬次郎の仇、同姓丑蔵に斬りかかる。
激闘数刻の末、相討となる。同寺に銅像がある。長谷川伸の作で新国劇で上演される。(荘内史年表)
9月竹内八郎右衛門と白井矢太夫が蟄居を命ぜられ、再び水野派(本間派)が台頭する。
10月根上善兵衛が私費で、船場町川欠地を修築し市街とする。
大庄屋格の佐竹弥右衛門が大庄屋となる。
鐙谷惣右衛門が川船方地盤取調・船方取締方・問屋取締方・歩座方となる。
この頃、酒田は新興の意気に燃え、発展期にあたり、文化文政の賑わいを呈する。光丘等による植林の功が表れ、新地・浜畑・外野町・祖父山下・千日堂前に家が立ち始める。