文政3年(1820)

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文政3年18203月新田開発及び田畑検地仕方を定める。(荘内史年表)
3月練雲斎桐谷令徳という人から本町の青塚治右衛門素鳥が、相阿弥流盆山の石之巻・沙之巻・浪之巻の免許状と盆山の道具を授かる。
8月力士大綱五郎吉が没する。32歳。寛政元年広野村に生まれる。文化8年、春日山の門に入り大綱と名を改め、文政2年、盛岡藩に召抱えられたが、巡業中に病死した。
11月本間光道が去る文化14年、酒田湊口銭取扱を委任されてから、鋭意、弊習の矯正につとめ、成績がすこぶる挙る。そのため、掛員その他の為に賞与を乞う。
12月光道が新堀渡船場その他に氷上敷板を寄付する。
本間正七郎が藩に広野谷地と五丁野谷地を借りうけて開墾したい旨を願いでる。
本間家が小浜の古河嘉大夫から玉手丸(のち住吉丸)を420両で購入する。
鶴岡の山田弥十郎が、新堀村対岸五丁野の開拓と渡し守小屋建設を藩に申し出る。(旧山形県史)
飛島と吹浦村との鱈場争いが発生する。(飛島誌)