文政5年(1822)

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文政5年18222月11日夜、染屋小路から出火して南西風のもと本町四ノ丁・三ノ丁・和泉小路・上の山・荒瀬町・近江町・新片町など904戸を焼く。町年寄上林家の「上林文庫」や、日記その他も焼ける。(荘内経済年表)火事
3月米沢藩主上杉治憲(鷹山)が薨ずる。72歳。治憲は米沢藩中興の名君で、その事績はつとに世に知られる。かつて酒田本町三丁目に米沢役所を置き、役人を派遣して、廻米その他の事務を取扱わせる。本間家とは深い関係にあり、書が伝えられている。(酒田港誌)
4月藩主忠器上京につき酒田町に、寸志金2620両、米250俵ほかに才覚金3760両を達せられる。
5月8日家根合出身の円明海上人が没する。55歳。海向寺住職・木食行をし、海向寺境内鐘樓付近で入定する。同寺即仏堂に忠海上人とともにまつられている。
7月3日庄内大洪水・大雨細引のように降る。夜、赤川大洪水。村々の人家が流され、橋は残らず落ちる。水死人多数、川北地方も7日間浸水する。水害
8月飛島法木村で50戸中49戸を焼失する。火事
8月竜厳寺の仁王門がたてられ、仁王を安置する。
12月出町から出火し、1,240軒を焼失する。社寺の焼失が多い。この年10月にも大火あり、一年間で2,144軒を焼失したとあるが、詳細は不明である。このとき上山王社も類焼し、まもなく本殿のみ建立し、拝殿はたてられず、假殿をもってこれにあてる。火事
林昌寺がこの年の大火以後、現在地に移転する。
洋学者本間光喜郡兵衛が上の山に生まれる。