文政8年(1825)

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文政8年18252月10日本間光道が酒田湊口銭方の成績良好につき藩主より賞賜を受ける。
3月魚類の売捌きについて、浜方・町肴屋・仲買・小売商等の口銭取締規定をつくる。
8月本間光道が隠居し、光暉が家督を継ぐ。
8月14日本間光暉が御雇船、酒田湊口銭取扱方となる。
11月奉行所は宮野浦に対して、4月から9月までのところをさらに10月から3月までも伝馬荷を運ぶように命じる。
この年出された「諸国芝居繁栄数望」の中の前頭のところに「出羽坂田」とあるのは、今町芝居のことをさしていると思われる。
俳人一茶が再び奥羽を周遊し、最上川を下って酒田に着き、象潟に遊び、その埋れたのを惜しむ。
飽海郡稲田の高橋九左衛門が三本鍬を以て乾田を行う。庄内における乾田の初め。(荘内史年表)