文政11年(1828)

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文政11年18284月亀ヶ崎の上川原を〆切り、下川原山居の堤防を修繕する。(酒田港誌)
7月1日今町から出火して183戸を焼く。火事
7月9日大雨降り、10日洪水となる。赤川の堤防が360メートルにわたって決壊し、多くの橋が流失する。酒田の松原堤防も破れ、大手橋・新井田橋が大破する。鵜渡川原と船場町浸水、今町まで水上る。河川は平水より6メートル増水する。352戸が浸水、御蔵米2万俵が濡れる。最上地方より水死人や家屋多く流れ来る。川北田畑の被害は前代未聞という。水害
9月17日僧侶順了が没する。82歳。鳳景・東海・五乗院。酒田の人で本願寺派の学僧。江戸浅草光円寺に葬られる。
本間家所持の砂越村分大野畑で、小作料減免を要求した山楯組の村々の小作人に対して、本間家で小作地引あげを行なったことから大きな争いとなる。(県史資料篇一七)
庄内極めて凶作。(荘内旧事記)