天保9年(1838)

年号選択
 
元号年月日事項文キーワード
天保9年18384月幕府の巡見使、黒田五左衛門等が庄内に到着するので、藩から市中諸事設備方の命がある。
6月光暉が失業救済のため浜畑別荘(現本間美術館)の大改築を行い、林泉の美を加える。作庭の流派には大きくは遠州流(小堀)と武学流(大石)の二つがあり、別荘は武学流で、廻遊式と座観式を兼ねたものという。
8月中村太郎左衛門が生まれる。はじめ本間家に勤め、頭角をあらわす。のち鉄工業を営み、発明家としても知られる。中村一族の祖。(荘内経済年表)
酒井忠器に京都御所造営の命を拝する。(荘内歴史年表)
忠器は先代忠徳の徳政にならい、凶作のため拝借の米穀全部を借り下げの恩命を下す。(荘内歴史年表)
下内町喜兵衛が広野谷地・五丁野谷地開拓の資金を請負う。(野附文書)
木挽仲間で細工料を決める。川船細工は1日250文、御町細工は10日で1歩とする。
事業家須田伝次郎が先代須田伝次郎の次男として船場町で生まれる。酒田・新潟間の定期船航路を開設した。鰊粕使用を勧奨して普及に尽力する。持地院に葬られる。