天保11年(1840)

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天保11年18401月火防株を文化11年に準じ、組織する。
4月下の日枝神社の本殿を建てる。
7月御城米川下し運賃を定める。
7月夏虫のため田畑稲作大痛み、大凶作となる。
11月1日藩主酒井忠器が越後長岡(七万石)に転封を命ぜられる。領民は「百姓たりとも二君に仕えず」とのむしろ旗をたてて、嘆願・直訴などの大阻止運動をおこし、翌年ついに目的を達成する。世に天保義民または天保一揆もしくは三方領地替という(天保快挙録)。農民による反対闘争は11月後半からみられるようになり、京田通西郷組・中川通・遊佐郷の三地域を中心としながら展開した。天狗たちが指導する。
11月20日光暉は転封用金のうち4万2,500両の提供を稟申し、江戸に赴きこれを調達することを請う。(市史史料篇五)
酒田質屋利率を定める。
この頃、定火消が減少して55名となった。
無株の者が蝋を背負売することを取り締る。