弘化3年(1846)

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弘化3年18462月城代松平甚三郎が免ぜられ、酒井奥之助が城代となる。
3月18日鵜渡川原の十一面観音堂を再建する。現在の建物。
4月20日俳人仁井田碓嶺が没する。歳不明。小簑庵・柳屋・昨日庵・九十九坊。上野坂本の人、俳諧の宗匠常世田長翠に入門して俳人となった。長翠の没後、来酒する。
5月勤王家、天誅組の首領、藤本鉄石が来酒する。
6月荒瀬・平田・遊佐郷の百姓千人が酒田の鍋屋次郎助その他が米相場操作を目的に鳥海山に不敬したため、東風がおこったという理由で、酒田に入り込み、鍛冶町鍋屋・船場町孫四郎・十王堂町長治郎らの家を破壊する。物頭・町奉行が足軽多数をひきいて警戒に当る。(今町菊地家文書)
7月3日山王小路から出火し、東風のもとに給人町・米屋町・下内町・鍛冶町など407軒を焼失する。火事
7月女流画家、谷文晃の門人、伊東梅月が没する。33歳。妙法寺に葬られる。梅月は外野町伊東氏の女、江戸に出て文晃に学び、花鳥画をよくする。山水・人物これに次ぐ。梅宇がいうには、梅月が親子三人江戸に出て、繊手を以て数口を支えたのは甚だ感ずべきこと。殊に席画の時などは、都下稠人、満座の中に在って、自若として毫を褌う様は女丈夫といえる。惜しいことに短命であった。(病間雑抄)
9月三十六人衆の火防幹部並びに役割分担を定める。御高札場付2人、同加勢4人、町奉行御用帳付3人、町奉行御手付4人、行事家御用帳付3人、行事家龍吐水付並びに跡火消5人。これら幹部は定火消及び各町人足を指揮した。
風害のため、農民たちは風送りを行う。
「大日本持丸長者鑑」によれば本間家は行司をつとめている。
浜中村民が「山方仕法十ヶ条」を定める。
出町の皇太神社を再建する。