嘉永5年(1852)

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嘉永5年1852閏2月17日庄内藩士、郷土史家、池田玄斎が没する。78歳。「弘采録」「病間雑抄」その他著書が多い。(光丘文庫蔵)
閏2月22日異国船渡来に備えて、海岸防備研究のため奥羽周遊中の吉田松陰(23歳)が宮部鼎蔵・安芸五蔵とともに来酒する。酒田を「戸数五千、或は七千、川は大船を泊すべく、新潟以北最も繁盛の地」と日記に記している。山王森に紀行碑がある。(東北遊日記
3月遊摺部が雪どけ洪水の災害から免れるため、最上川右岸の五丁野を開き、川北に移転し、酒田支配となる。安政5年に移転を完了する。総計費1,504両。(酒田港誌)
春、左沢住の寿永堂左永が酒田にくる。その紀行文「酒田往辺膝栗毛」に今町遊里のことが記されている。 「夕日輝く帆柱は春の土筆も斯くやらん、摘まずに帰る冬枯れの、野辺こそ淋し夕暮に只ひとり夢とふけ、現とくれて1月余り過ごせし内、とかく徒然に相客に、酒の因みに誘はれて、小屋の浜辺の網引もまた一興と、懸りし魚の珍しく、ほろ酔機嫌の夕千鳥、渡らば渚の砂路戻り足、ひょろひょろ帰る黄昏に、ついに今町の央に出でぬ。さて、此所は実に別世界にて、弦歌の声、無曲の音つねに絶えず、花の曙には遠山の眉艶めかしく、月の夕べには蘭麝の薫り濃にして、一笑千金の媚、鎗心を溶かす術、深し、忽ち這入る酒田の井、賢愚老若貴賎を隔てず、帰る帽子に来る頭巾、紛々として喧しく、謡ふ声、邪曲に迷ひかけ、罠に堕るがごとく、花言巧語にほだされて、費す金銀、湯谷に雪をそそぐに似たり」(浜田藤井家蔵)
6月城代服部瀬兵衛が家老に転ずる。
10月13日大風雨のため酒田湊が被害を受ける。(荘内歴史年表)水害
凶作。
五丁野稲荷を再建する。
藩世子酒井忠恕が山内容堂の義妹と婚姻する。
小松盛久が生まれる。事業家。庄内米普及の必要性を痛感し、精米株式会社を興し、庄内米の名声を高める。