安政元年(1854)

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安政元年1854正月15日道祖神祭のとき、若者が祝棒で嫁つきをすることをやめ、ただ下駄がけで酒をご馳走になるよう、鵜渡川原に達しられる。
3月20日藩主酒井忠器が没する。65歳。酒井家十代の主。中興の名君忠徳の子。梅溪と号する。幼より書画を能くし、父の志を継いで国を治め、力を王事に勤める。安政元年3月、西郷組の農民は公の恩徳を忘れないため、椙尾神社境内に小祠を建て、霊松殿と号しこれを祀る。遊佐郷玉龍寺境内にも稲荷神社と称してひそかにこれを祀るという。いわゆる生祀である。(酒田港誌)
3月秋保政右衛門が藩主に海防配備人数調を出す。
4月飛島沖に三、四千石の異国船が現れる。
7月5日午後8時頃地震が起こる。地震
11月庄内藩に品川海岸五番砲台の警備を命ぜられる。
安政初年、箱館・福山・江差に入った千石船の中に、加賀・若狭・越後出雲崎・近江の持船に混じって酒田の本間船10艘が見える。