元治元年(1864)

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元治元年18642月町奉行所に帳付役を初めておく。
3月湯銭1文増により、8文となる。
5月三十六人衆の父子が種ヶ島、荻野両流砲術の稽古を願い出て許され、また父子とも帯刀を許される。
7月江戸取締のため長州藩毛利の麻布の邸をかこんで没収する。(荘内歴史年表)
8月27日安祥寺継尊が没する。64歳。享和元年越後柏崎に生まれる。文政5年得度し、酒田の安祥寺に入り住職巧恵の没後その養子に入る。天保5年上洛して継尊と改め、嘉永6年西園寺前中納言の息女福(とし)を娶る。
8月光美が軍用金3万両を即時提供の命を受け、1万両を献納、残2万両を分割提供する。(市史史料篇五)
9月庄内藩が長州征伐の先手を命ぜられ、1万5千両の才覚金を酒田町に命ずる。
9月8日松山藩の川俣茂七郎が筑波山の変に加わり自刃する。26歳。茂七郎は松山藩士、攘夷の説を唱えて筑波山の義擧に加わり、常野の間を奔走し、同地方の羽衣に於て自刃する。(阿部正己著『川俣茂七郎』)
12月木工家、白崎善治郎が没する。72歳。諱は度定、字は知新、号は拙逸堂また蓬樵と袮する。上の山にすむ。俳諧や狂歌を能くし、ことに木工に巧みであった。最上川より採取した埋木を以て文房具を造り販売したところ、文人墨客の嗜好に適し、千種有功・鈴木重胤・朝川善庵・池田玄斎等の諸名家より和歌文章を贈られる。龍吐水を作製して販売する。
「大日本諸商売分限者繁」によれば本間家は西前頭筆頭となっている。
浮世絵師五雲亭貞秀が酒田湊風景の錦絵を画く。貞秀、姓は橋本、玉蘭亭と号する。三世豊国の門人で亀井戸に住し、特に地理に関する画が多く、地理学の権威者を以て推される。(歌川家列伝)
江戸の塗師岡本久米吉が庄内藩武具塗工に召し抱えられ鶴岡に下る。のち竹塗を創始して竹翁と称する。鶴岡竹塗の始祖。(荘内歴史年表)
伊藤鳳山が渡辺崋山の推挙により三州田原藩の儒臣となる。