元号年 | 年 | 月日 | 事項文 | キーワード |
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明治4年 | 1871 | 2月7日 | 山形県坊城知事の命を受け大谷大参事が酒田に出張し、正租や口米以外の雑税免除を達する。(荘内歴史年表) | |
| | 2月14日 | 村預り中の2年前天狗騒動加担の天狗どもが再び入牢となる。五ノ丁長浜五郎吉等9名は山形へ引登せ、徒罪となる。 | |
| | 2月16日 | 山形県知事坊城俊章の雑税免除につき、太政官より取消となり、坊城は同年8月本官を免ぜられる。このため農民は騒然となる。(酒田港誌) | |
| | 4月 | 酒田出張所から種痘を諭達される。 | |
| | 4月13日 | 前年、山王頭屋は廃止となる。この年、年寄・大庄屋は頭屋希望者を募ったが、志願者がなく、三百年来の祭儀が絶えようとした。このとき下村与次兵衛がこれを憂えて独力で上下2頭を勤仕し、中絶を防いだ。 | |
| | 4月29日 | 明治2年10月26日に宮野浦沖で難破した英国籍蒸気船オーシャンクイーン号の引揚のために派遣されたフランス人がようやく成功し、函館に向けて出航する。前年9月にも引揚を試みるも、その際は失敗している。 | |
| | 5月7日 | 大泉で米泔汁より油を取ることが始まる。 | |
| | 5月25日 | 問屋頭を廃し、港税その他の上納金を直接運上所に納めらせる。 | |
| | 5月 | 渡辺(玉屋)久右衛門が酒田港近辺難破船取扱方と新井田川尻浚渫取扱方になる。 | 港 |
| | 5月 | 日和山常夜灯の台石をつくる。 | |
| | 5月 | 吹浦村の大物忌・月山神社は羽州一宮たること異論なく、蕨岡大物忌神社は勧請地にして正一位の神階ならびに一宮の扁額等は論証に成らない旨が山形県酒田出張所から吹浦・蕨岡に達しられる。(遊佐町史年表・野附文書) | |
| | 6月 | 上内町で堀埋め跡に新上内町をつくる。 | |
| | 6月 | 医師試験が行われる。 | |
| | 7月14日 | 廃藩置県となる。酒井忠宝は藩知事を免ぜられ、大泉藩を廃して大泉県とする。諸藩の知事は皆東京住居を命ぜられる。(遊佐町史年表) | |
| | 7月16日 | 僧侶寛海が没する。71歳。大法、荒瀬町の桶屋石川小助の家に生まれ、吹浦海禅寺二十一世住職となり、吹浦海岸の岩石に釈迦三尊、十六羅漢の像を彫刻しようと発願し、元治元年から明治元年5月まで4ヵ年を費やし、22体の磨崖仏、十六羅漢を彫る。海禅寺に葬られる。 | |
| | 7月 | 新井田倉庫が県有となる。 | |
| | 8月 | 兵制改革により藩兵を解体する。 | |
| | 8月 | 散髪・制服略服・脱刀とも自由となる。(遊佐町史年表・十里塚御用留帳) | |
| | 8月 | 士族授産のため旧藩士3千名が後田山(松ヶ岡)の開墾を始める。 | |
| | 8月22日 | 町年寄役を廃し、内町組・米屋町組・酒田町組の三組を廃し、第一区・第二区・第三区とし、各区に正副戸長を置く。戸長第一区佐竹弥右衛門、第二区栗林新右衛門、第三区二木重之助。副戸長第一区斎藤仁兵衛・第二区西野長兵衛・第三区森藤右衛門(酒田港誌)。 | |
| | 8月 | 北海道開墾が盛んとなる。 | |
| | 10月11日 | 午前8時頃大地震、午後10時頃また地震となる。 | 地震 |
| | 11月 | 府県統廃合により、山形県酒田出張所と、松山・大泉二県が合併し、第二次酒田県(23万5千石)となり、県庁を旧亀ヶ崎城におく。大参事松平親懐(元家老)権大参事菅実秀(元中老)県官はすべて旧庄内藩士が占める。このとき田川・飽海合併となり、飽海も旧藩下に入り喜ぶ。 | |
| | 12月 | 雑税免除を信じ、上納するな、もし、上納すれば火を放つとの回文が出るなど、騒がしくなり、大組頭宅に火をつけられる。 | |