明治11年(1878)

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明治11年18782月羽後国酒田華務課定則(池坊酒田会則)がつくられる。
2月大雪のため新寺町の芝居小屋がつぶれて一人死ぬ。その後に再建されたのが、米山座と思われる。
4月高砂村に恒月学校・宮海村に明秀学校・大宮村に大宮学校・坂野辺新田村に日進学校が創立する。
6月3日一応農民側の勝利といえるワッパー揆の歴史的判決が下る。農民への還付金は63,653円である。三島県令は羽前と羽後にかける橋と称して農民への還付金の大半をもって両羽橋架橋の費用に充てる。
8月6日6日から4日間、善導寺で黒森歌舞伎を興行する。
8月23日棋士竹内為之助が没する。31歳。伊蔵・恒愛。米屋町の素封家竹内伊右衛門(恒久)の長男。将棋の師、大橋宗桂から六段を贈られる。浄福寺に葬られる。
8月飛島にコレラが発生する。病気
9月20日鶴岡に第六十七国立銀行が創立される。
10月3日下台町に福島裁判所酒田支庁及び酒田区裁判所が開庁する。
10月9日鳥海山の裏が突然崩れ、大音を発する。
10月塚越道之助が中心となり本町に第七十二国立銀行を創立、11月25日開業する。資本金16万円。紙幣発行高6万4千円、貸付不良のため数年で解散する。(七十二銀行はのち私立佐賀銀行となる)
11月1日郡区編成法により大小区を廃して郡制とする。区長を廃し、郡長をおく。飽海郡長は貴島宰輔。鶴岡・酒田(船場町の運上所を仮使用)藤島に各郡役所をおく。また区務所用掛を廃し、百戸に戸長一人をおく。
飽海郡合計反別19,618町。地価4,142,476円。戸数12,448戸・人員75,969人。村数は155力村。(荘内史要覧)
三島県令が鵜渡川原村新井田橋を880円でつくらせる。(県史資料篇二)
浜中村大火、正常院も焼失する。(浜中広岡地区の年表)火事
御蔵米下ケ運賃、米50俵積1艘に付、広野新田村・大測村河戸まで82銭。(市史史料篇六)
小湊村と能登興屋村が合併して高砂村となる。
長坂にある酒田牢を酒田監獄と改称する。江戸時代は新寺町にあった。