明治13年(1880)

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明治13年18801月18日福島の自由民権運動家、吉田光一が15日に来酒、三浦屋に宿泊。この日午後に小幡で開かれた尽性社員の会合に参加する。(会津嶺吹雪)
1月漢学者、神保乙平が没する。69歳。乙平諱は忠良、字は子彦・竹涯と号す。祖父蘭室、父暘谷は米沢藩の懦臣。乙平も藩学興譲館で教鞭を執っていたが、弘化3年、致仕して酒田に来る。上荒町の白崎五右衛門の持家に私塾を開き、お龍夫人と協力して27年間、男女子弟の教育に従事する。明治元年、藩主の命により夫人とともに米沢に帰る。夫人は45年1月17日没す。酒田における数百の門人は両人の徳を慕い、明治17年安祥寺境内に碑を建てる。王藩清の篆額、撰文並びに書。(酒田港誌)
2月19日大町村に東郊支校が開校する。
3月3日歌人、海上胤平が来酒し、三浦屋へ泊る。
4月村ごとに衛生委員を置く。
4月河野広中・片岡健吉ら9万人による国会開設請願書に尽性社を代表して森藤右衛門も署名する。
4月最上川洪水。水害
5月20日山王祭礼に西洋手品またはヤソ手品が来る。
5月野附彰常が公立中学校の学務委員になる。
5月信州下ノ諏訪神社より分霊して安田村に諏訪神社を建てる。
6月7日東風強く、柳小路の柳が吹折れる。
6月森藤右衛門・鳥海時雨郎を中心とした自由民権派は明治絶対主義官僚三島の部下である貴島飽海郡長と激しく対立する。
6月酒田でコレラで死亡した人の冥福を祈るため、北千日堂前字松境(俗称コレラ山)に地蔵尊をたてる。(山警史年表)
7月1日本間家一族子弟の学校として、旧片町の池田賚宅へ庸行家塾、私立本立学校が創立される。教師池田賚。
7月24日内匠町で8戸焼失。火事
7月東平田村役場が竣工する。
7月大平村に上坂牧場設立(牧牛試験場)。明治16年時の牧場の反別46町余、牧牛44頭。(県史資料篇十九)
7月珍しい見世物が多く来る。大象・犀の子・オウム・狛芝居・福助・ロクロ首等、人々群集する。
8月10日浄福寺で県会議員の選挙が行われる。
8月為替方を第七十二国立銀行に吸収する。
9月11日旧鳴鶴学校(旧亀ヶ崎城)敷地並びに元城代屋敷を渡部作左衛門に代金500円で払い下げる。鳴鶴学校は大工丑五郎が取り壊す。
9月琢成学校3階に公立酒田中学校を併設する。(16年廃止)熊本県人成富一郎が教師に迎えられ、酒田中学の首脳となる。
初めて酒田町会が開かれる。
郵船三菱会社が酒田に初めて臨時航路をひらき、出張所を設ける。
9月双益講・広益講・信徳講など、無尽に類似のものが大流行する。
10月19日蒸気船高千穂丸が来航する。
10月19日十全堂を改築する。
12月11日内匠町の五大院で自由民権の演説会が行われ、森藤右衛門・大山茂・鷲田義則・林三郎・村松亀一郎・佐川測・伊藤雄次郎らが立ち熱弁を振った。600余人の聴衆が集まり、盛大であった。
12月末今町の満蔵院上地跡(字壱段)に勧業試験場がつくられる。
西洋種のリンゴ・梨が出廻る。
ダルマ(マント)の使用がこの頃より始まる。(1着2円30銭)(余目町史年表)
この頃から一部の人は新聞を読み始める。
在郷で荷車が大流行する。
この年大豊作。