明治15年(1882)

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明治15年18821月福島裁判所酒田支庁を酒田始審裁判所と改称する。
3月水車器械で綿をひくことが始まる。(咄しの種瓢)
4月酒田に学術研究会がつくられ、演説討論を活発に行う。ついで蕨岡や遊佐にも研究会が作られる。
4月遊摺部村に青藍学校が設立する。
8月新町からコレラが発生し庄内一帯に大流行する。(荘内史年表)病気
9月鵜渡川原の戸沢町に鳴鶴学校(現亀城小学校)を新築し、翌年5月亀ケ崎学校と改める。校舎は旧亀ケ崎城の建物の一部を移したもの。
9月酒田で牛を屠って売さばく。一斤35銭。
11月18日大風のため新堀村渡船が破損し、人9名、馬2匹が死ぬ。
11月福島自由党断圧事件が起きる。森藤右衛門は「飽海郡之輔」の名前で河野広中の母親に見舞の手紙と金品を送る。
渡辺作左衛門が事業に失敗して倒産する。新井田倉庫は共同運輸会社(三菱と競争した船会社)の所有となり、ついで三菱会社の手に移り、17年には日本郵船会社の所有となる。
『大日本持丸長者鑑』によれば本間家は西大関である。
この年戸数3,571戸・人口18,278人・うち男8,917人・女9,361人。
料理店 瞰海楼(小幡)・朝日亭・涼風亭・今町芳香亭(芳潟忠三郎・西洋形新築・前にフラフ(旗のこと)の看板を建て、風見と火の見とを装置する)千日堂前観峯亭(三浦善助)船場町天造楼・十王堂町紅艶楼。
貸座敷 今町、馬亭・鰻亭・今崎や・和田八・渡市・永三・都亭・法華・丸久・山松亭・佐伝・五十嵐・新町、木下や・山形や・加賀や。
菓子屋 今町、小松又三郎・村上半兵衛・伝馬町・吉田長二郎。
旅籠屋 伝馬町、三浦屋藤兵衛・吹浦屋仲吉・三浦屋重太郎・鶴ケ屋権四郎・伊藤勘右衛門・秋田屋吉右衛門・今町、いま栄屋藤・上内町、大寿屋五郎兵衛・本間金助。
廻船問屋 小山太吉・大泉長次郎・本間長三郎・五十嵐伝之丞・根上善兵衛・佐藤調右衛門・小田治郎右衛門・奥村七三郎・鐙谷惣太郎・佐藤徳太郎・渡辺作左衛門・近藤新助・本間幸四郎・畠山徳次郎・的場文次郎。
鶴岡通い船  本町六丁目 川岸菅原金六・八軒町、齊藤喜八・同本間六兵衛。
清川船宿 染屋小路佐藤七郎兵衛。
新堀渡船がこれまで村持であったが、地方税の支弁となる。
乾田法が富岡一帯に亘って施行される。(遊佐町史年表)